カモシカロングトレイル

トレイルランニング・登山・ULハイク・マラソン。書き捨て御免。※本ブログはプロモーションが含まれています。

山を走るのって罰当たりで失礼なのかね


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去年、御嶽山にトレランに行った時。

覚明堂の前で休憩していると、隣にいたご夫婦がチラっとこちらを見た後、こんな会話をしていました。

妻「この山はトレイルランナーほとんどいないね」

夫「そりゃあそうでしょ、罰当たりだもん」

先日の記事を書きながら、ちょっと思い出しました。

 

 

山を走るのは罰当たりで失礼なの?

安全とか別の話はともかくとして、日本的な宗教勧からして、一般的な登山者よりもトレイルランナーの方が失礼なんてことは無いと思います。

高い山に限って言えば、修験者の開山記録を追っていくと「山を走る」という行為はまず間違いなく出てきます。

おそらくその修験者が人間離れしていることを強調する意味でも書き残されているのだと思いますが。

つまり、その山が聖地として近代的な宗教色を帯び始めた当初から走られているので、走ったから失礼とか不敬なんてことはないと言えるのでは。

 

また、立山や白山、御嶽山もそうですが、霊山と呼ばれるような山は入山前に水行を行い、7~8合目あたりで草鞋を脱ぐか履き替えるかして登頂するのがほとんどでした。

それを、獣の皮を使った履物を履いて登る登山者がどうしてトレイルランナーを批判出来るのか。

そもそも神道系の考えではなるべく薄着、出来れば裸が清らかと言われるのに、トレイルランナーの方が失礼、というのが意味がわかりません。

履き清められた境内や本殿の中を走るな、というのは100%理解できますが。

 

「亡くなられてまだ見つかっていない方がいるから」というのなら、むしろそう思う場所にドカドカ土足で入っていく気持ちの方が分からないですしね。

 

などと思ってムカムカしていたのですが、しかしそもそも自分自身、御嶽山の歴史や文化を自分は理解しているのか?

私は家祈祷なんかは御嶽教の祈祷所に頼んだりしていますけど、理解しているのか、と言われると全然な事に気付きました。

という事でちょっと関係ないんですが、web上には全く情報が無いので、御嶽教などの御嶽山に関しての信仰について色々と調べて得た知識、特に綺麗事ではない部分を、ここにまとめたいと思います。

興味ない方は読まない方が良いです、長いだけですから。

 

御嶽山の歴史


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Before覚明

御嶽山はもともと信濃の国の御岳(※御岳とは、修験の場として国分寺とともに定められた山。といっても密教系仏教がその後低迷したことから、すぐに有名無実になる)だったのですが、元の名前である王嶽が王御岳→御嶽山に変化していったと言われています(諸説あり)。

御嶽山は濃尾平野を潤す木曽川の源流の山として、また、濃尾平野から望める山容が美しく、古来より親しまれたそうです。

室町時代、木曽谷を本拠とする木曽氏(※藤原流。源氏の木曽義仲の木曽氏の末裔を自称はしている)が守護神として祀り、寺社を多数建立し、本格的に山の聖地化が始まりました。

しかし、寺社が置かれるようになってからは百日精進のフィナーレとして山頂まで登拝する「重潔斎」でしか登頂がゆるされず、費用も莫大になってしまいました(男性一人の年収程度)。

それでも御嶽山で行を済ませたものは霊を降ろせるようになる、などといったこともあり、全国の修験者やイタコ志望者(ただし女性は女人堂まで)など、いわゆる「宗教で一発当てたい人(言い方悪い)」は絶えず入山していたのですが、それ以外は、よほどの祈願成就を目的とする人しか登頂する人はいなかったそうです。

しかし、そこに転機がおとずれます。

 

覚明の黒沢口開山と変化

覚明という元商人の僧侶が1786年に黒沢口に地元住人と共に道を開きました。

そして水行などの数日の精進後に登拝を実行する「軽精進」を推し進めました。

旧来のやり方を変え、更に代官所などにも怒られる事(尾張藩の管理林を通る為)に、なぜわざわざ地元の人間が協力したか、というのを考えると、恐らく元商人で、更に遍路などを通じて先進的な登拝ビジネスを見て来た覚明は軽精進による一般人の登拝ビジネスが「おいしい」ことを知っていて、それを伝えたのではないでしょうか。

重潔斎を取り仕切っていた従来の神職家は大いに怒りましたが、木曽福島宿での営業活動などから少しずつ入山する人が増え、江戸時代の参拝旅行ブーム(※通常の旅行は許可されていなかった為に、わりと旅行気分で参拝に来ていたようです)で、御嶽山への入山者は増え続けました。

 

結果として村々は木曽福島からの駕籠、渡し、宿場、ガイドのビジネスで潤い始め、そうなると反対していた庄屋たちも認め、参加し、代官所にも認めさせることになります。

 

普寛の大滝口開山と商業化

1792年、修験者の祈祷がブームになっていた江戸でも頭角を現して信者を獲得していた普寛という人が黒沢口から山頂に至るルートを開拓します。

恐らく、「御嶽山がおいしい」という事を知ったのでしょう。富士山に登拝する富士講はすでに無数に存在して、競争率が高かった為、それよりも更にミステリアスで競争相手のすくない御嶽山に目を付けたのだと思います。

先進的な「ウケる」修験道(霊を降ろす、札を書く、祝詞を上げる、など)を身に着けていて、既にマーケットを抑えていた普寛の展開力は目覚ましく、更に弟子たちによってたくさんの講が作られて、おとずれる人が増えた大滝口の村々はあっという間に繁栄していきました。

そのため、黒沢口の村々ともめる事が多くなったため、「上がりの分け方」についてたびたび話し合いがもたれた記録があります。

 

こうして、江戸を通して御嶽山は発展していきました。

 

あれ?なに書いてるんだっけ。まあいい。事実だし。

明治の神仏分離を乗り越えて

そんな神仏混合商業宗教の最前線の御嶽諸教ですが、明治になると神仏分離令が出て、修験系の各宗教はかなりの数が淘汰されて無くなりました。

しかし、御嶽教はそれまで祭っていた神様から「権現号」を廃し、仏教っぽい仏像も仏具も片付け、名前も御嶽神社として、いち早く教派神道として認められます。

凄い変わり身の早さ・・・!

その後は例大祭などでのイベントを大きくし、各地の御嶽講は増え、発展を続けます。

 

御嶽山に関わる宗教の魅力

とまあ、ここまでちょっとふざけて紹介してきましたが、ブログの読者の方々はご存じの通り、愛しているから笑いものにも出来るんです。

御嶽山にかかわらず、宗教は、多分にお金の匂いのするものだと思っています。

しかし、御嶽山への登拝は庶民の楽しみであり、修験道は貧乏人の為の宗教です。いつの時代も弱者の側の宗教でした。

貧乏人からお金を巻き上げる様な宗教とは一味違います。

昨年も、祈祷所から「信者が減ったので今年からお札値上げします」なんてわけのわからない事を言ってきました。もっと信者減るやろ。おっちょこちょいか。

まあそういう可愛らしさがあります。

そして、そういうなんというか、人間のダメなところも含めて抱き留めてくれるようなところが、御嶽山にはあるんです。

山容と同じく、その大きさは偉大です。

まさに、父親のような、帰る場所である母親のような。地獄であり天国・・という様な。

なんというか、怒って岩戸に籠っちゃう神様がいるような、日本の原始宗教らしさが、私は大好きです。

 

那智の滝をクライミングするのは?

最後に、ちょっと脱線。

以前、那智の滝を登って批判されたクライマーがいました。

www.j-cast.com

あの時、分かりもしないで日本中の人が叩いていましたが。

まあ私も那智大社に関しては詳しくないのでなんとも言えませんが、神仏習合のかなり強かったというのは理解していますし、現在の由来なんかも相当後付けな・・・。

それも含めての懐の深さが日本の宗教の面白さだと思うんですが、なにも知らない人が感情に任せてクライマーを叩いていたのは本当に笑えます。

大社の方が批判するのは理解が出来ます。信者の方も。

まあしかし、ちゃんと身を清めていたら宗教的には素っ裸で裸でフリーソロしていたら批判されないはずなんですよね。

でも、きっと(公然わいせつみたいな法律的なことは抜きにして)実際にやったら9割の人が批判すると思います。

知らないからね。

靴よりも裸足の方が、正装より裸の方が清いという観念を。

知らないのに、批判はしない方が良いと思いました。特に宗教は!

おしまい。