カモシカロングトレイル

スピードハイク・ランニング・登山・キャンプ・山遊び。書き捨て御免。

批判と再生

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ブログをやっていると、批判されることが多々あります。

私の様に好き勝手書いていたら尚更。

もちろん、私自身もこのブログで色々な事を批判したりもするわけですから、お互い様、というか、因果応報ですね。

 

とはいえ、まったく何かを批判したり貶したりしたことのない人であっても、インスタやツイッターで、突然批判されることもあります。

 

そんな時、「批判」というのは、突然の暴力の様なものに感じますね。

その日一日、腹が立ったり、気に病んだりするものです。

 

突然の暴力・・。私の記憶の中で、そういう経験で、最も古い記憶は、まだ私が幼稚園に入る前、3歳児くらいの記憶でしょうか。

 

砂場で楽しく高い砂山を作っている私。

そこに3つか4つくらい年上の男の子が来て、突然砂山を崩し始めました。

あの時の大きなシルエットが怖かったのを、なんとなく今も覚えています。

 

批判は暴力、と言いましたが、私は「事やモノ」は批判されるべきだと思うんです。

よく、「批判だけなんて何の意味もない、生産性がない。建設的な話をしよう」みたいな事をいう人もいるんですが、本当にそうでしょうかね?

 

わたしは、批判というのは意外と前向きな要素を含んでいる事が多いと思うんですよ。

 

私がまだまともに色々と考えて仕事をしていたころ・・10年以上前になりますが、「クリティカルシンキング」というものが流行りました。

まあざっくり言うと「前提や思い込みを排除して真の価値や効率の良いやり方に到達する」的な感じなんですが簡単に説明できることでもないので気になった方は調べてみて下さい。

 

ちなみにこのグロービスのMBAシリーズ、簡単で簡潔で分かりやすいので、バカとブスにこそオススメです。

 

で、まあクリティカルシンキングは単なる批判とはもちろん違うんですが、単なる「批判」自体も多分に建設的な活動・議論だと思うんです。

 

批判無しで物事が進んでいくと、間違いなくいびつに、バランスが悪くなっていきます。

そこで上手くいかなくなったり、回らなくなったりしたときに、批判なく進み続けたモノやコトは肥大化し過ぎていて、その歪な姿は取り返しのつかないものになります。

 

ナチスや、戦前日本、各国の共産主義政権だけでなく、やはり批判を許さない社会・集団、というのは歪になります。

 

私はそういうのは日本人が一番危ういんじゃないか、と思っていて、組織の批判や上司の批判、社会への批判なんかに過剰反応してしまうところが多いのではないか、と。

 

私は批判は、バランスを取るチャンス、軌道修正の切っ掛け、再生への第一歩だと思っています。

 

ただ、ここには一つだけ重要なルールが有って、「人を批判してはいけない」とおもうんです。

人を批判しても何の生産性もありません。

人はそこに間違いなく連続して存在する、交換の効かない事象なので、再生しようがないんです。

再生するのは、その人の在り方や表現方法、生活手段なんかの「コトとモノ」なんです

よね。「ヒト」ではないんです。

 

共産主義ではしきりに自己批判(総括やなんやアホな言い回しを含む)していましたが、本来は自己のそれまでの「コトとモノ」を批判する事で自己の再生を図っていたのでは、などと思うんですが、ただその人(もしくは自己)の人格を攻撃する、精神への暴力行為に変わっていきました。

 

という事で批判する事は何も罪じゃないし、悪い事でもない。

日本人はもっとモノやコトへの批判を意識するべき、と思います。

ん??でもSNSだと批判多いですよね?

そうなんです、やっぱり皆さん頭が良いから、ちゃんと批判する思考は持っているんですよ。

あとはそれを実社会で発言していけば、もっとスマートで住みよい社会になっていくと思うんです。

 

と、批判をすべて口にして上司から疎まれる私が皆様にご提案致しますよ。

 

あ、ひとつ思い出しました。

最初に書いた、砂場の話。

あの暴力的に崩された砂山の話。

アレ、あの年上の男の子はあのあと、こう言いました。

「こうやって時々崩した方が、砂を乗せやすくなって良いんだよ!大きな砂山はこうやって作るんだぞ!」

 

実際にそうでしたね。

子供たちの間でああやって遊びの文化が受け継がれていく時代の話でしたが、今はどうなんでしょうかね。

外で好き勝手になんて遊ばせてもらえませんから。

子供に何かを伝えるのは、親の背中しかないのかも知れません。