カモシカロングトレイル

トレイルランニング・登山・ULハイク・マラソン。書き捨て御免。※本ブログはプロモーションが含まれています。

おばあちゃん


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もう亡くなっていますが、私には二人、祖母がいます。

普通かな?ちょっと多いかもしれません。

 

しかも実は妻にも祖母が二人いて、最近珍しい祖母が四人いる夫婦なのです。

 

私の父方の祖母は、一度しか合わないうちに亡くなってしまいました。

祖父はサハリンで蒸気機関車のエンジニアをしていたそうで、敗戦して逃げ回り、やっとの事で北海道の炭鉱に定住したのに、しばらくして亡くなったそうです。

その後、上の子は働いているとはいえ、6人兄弟を一人で育て上げた祖母の労苦はいかほどであったか。

父方の兄弟は日本初の某になった人がいたり、老人になっても警察を殴って捕まる人がいたりと、バラエティに富むので、意外と面白い人生だったのかもしれません。

月に一度、電話で話すだけの祖母。それでも大好きな人でした。

 

母方の祖母は、田舎では超がつくお嬢様で、役人で戦争にいかなかった祖父と一緒になった人でした。

いつも、「お前が世界で一番かわいいよ」と、私を抱き締めてお小遣いをくれたのを思い出します。

同じ事を従兄弟にも私の弟にも言っていましたが、それでも幸せな気持ちになったものです、お小遣いを貰えるから。

実はこのやり方は母にも受け継がれていて、私たち兄弟は皆、「お前が世界で一番かわいい」と言われて育ちました。

もちろん、そんな事まったく信じてはいないのですが、根拠のない溢れる自己肯定感は、きっと祖母と母がくれたものだと思ってます。

その祖母も、私が中学生の頃に亡くなってしまいました。

 

時がたち、私には新たに二人、祖母が出来ました。

妻の父方の祖母に、婚約の挨拶の為に初めて会ったとき、彼女は深々と頭を下げて玄関で迎え入れてくれました。

「〇〇さん、〇〇さん」と、低姿勢な方でしたが、会ったその日に怒られました。

 

「大の男が結婚する前からそんな尻にひかれんでええ!」と。

 

しかし妻の話では、昔はよく「じじいはどこに行った!!」と、家のどこかに隠れた祖父を追いかけまわしていたらしいです。

なんか腑に落ちませんよね。

そんな祖母は、毎回、帰り際になると、ポチ袋や、無い時はティッシュペーパーに数千円を包んで、「子供に靴下でも買ってやり」と渡してくれました。

 

小さなお婆ちゃん。

 

私がスルメが好きだと知ると、いつ来るかもわからないのに、毎回山の様にスルメを用意してくれていました。

 

そんな祖母も、数年前に亡くなってしまいました。

 

妻の母方の祖母にも、婚約の挨拶で伺ったのですが、ニコニコと笑顔の素敵な、可愛いお婆さんでした。

とにかく朗らかで、優しくて、妻の母とそっくりな性格の人でした。

ちなみに妻の母からは最初凄く嫌われていました、多分・・。

祖母は、「〇〇ちゃん、〇まるちゃん」と、妻をまるで3歳の子供の様にかわいがっていました。

妻も、祖母に特別大きな愛情を持っていたように思います。

そんな祖母も、老人性の認知症が進み、最後には私の事どころか、妻の事も時々分からなくなっていました。

しかし、病室で大勢・・本当に大勢の孫たち、ひ孫たちに囲まれ、とっても幸せそうにしていたのを思い出します。

 

私は、自分の血のつながった祖母との記憶は、本当に少ないです。

しかし、妻と結婚して、二人の祖母と親しく過ごせることが出来て、本当に幸せでした。

 

あの人たちは、いつも自分のことよりも、孫たち、ひ孫たちの事を考えていた様に見えました。

ああいう老人になって死ねたら、本望だと思います。

 

という、今日は中学生の作文みたいなブログでした。