突然ですが、私は実は双子として生を受けました。
しかし流産なのか早産なのか死産なのか、聞いてはいないのですが、とにかく片割れはこの世に呼吸をすることなくまた輪廻の中に消えてしまいました。
その3年後、弟が生まれるワケなんですが、この弟が顔以外の骨格が私と瓜二つ。
歩き方まで一緒です。
その弟、というのが、私と違って運動神経の化け物みたいなヤツで。
短距離はずっと学年で一番か二番。サッカー、野球、テニスなど何をやらせてもトップクラス。
1500mも高校1年生の体力テストで4:30秒を切っていました。
某競技では全国大会に何度も出場。
しかも、ろくな練習もせずに、です。
この前、久しぶりに会った時に、子供用の一輪車に乗せて見たら、今まで一度も触った事すらないのに、最初の一度目から完全に乗りこなしていました。
私はテレビで武井壮を見ると、いつも弟を思い出します。
筋肉の量、努力できる力にこそ違いはあれど、多分「運動神経」という点では、弟はほぼ同レベルだと思います。
私は小さな頃から本と森、虫なんかが大好きで、あまりスポーツはしてきませんでした。
そんな私が小学3年生の頃、一念発起して練習し、初めてリレーの選手に選ばれるか・・・という時がありました。
結局補欠でしたが、まあまあ自信にはなったのです。
しかしながら、その直後、まだ幼稚園年長の弟に50mで負け、それ以来短距離に苦手意識を持つようになったのを強く記憶しています。
そこから私はゲームや本に没頭するようになり、スポーツはサッカー以外は嫌いになりました。
特に野球は大嫌いでした、これは今もですが、ルールすらイマイチわかりません。
得意なものと言えば、木登りや岩登りくらいでしたでしょうか。
これは大人になってからボルダリングジムで初見で3級をすべて落とし、3か月で1級をチラホラ落とす様になったので、唯一、人より優れているかもしれない才能です。
懸垂の回数と腕相撲も、背が小さかった割には強かったです。
懸垂はずっと学年で一番。いまでも20回くらいはちゃんとしたフォームで出来ます。
ただ、上半身は今でも筋肉が付きやすいので、走るのには要注意です。
中学に入っても、一応部活は運動部で、努力は人並みにしましたが、全然ダメでした。
今でいう「陰キャ」になりそうなもんなんですが、人と話すのが大好きでしたので、あらゆる同級生と仲良くしてもらえて、楽しい学生生活を送る事ができましたが。
弟はどういう子供だったかというと、小さな頃からずっと走り回っていて、日が暮れても晩御飯が始まっても帰ってこない子供でした。
しかしそれを差し引いても、やはり神様は「運動する才能」をちょいちょい、無作為に人に与えるのだと思います。
ただ、それでも徹底して努力する事を覚えなければトップクラスの選手にはなれない。
結局弟は、某競技で時々周囲の高校でコーチをする程度の競技力で終わりました。
その弟、とある事で、一瞬で、暴力的に、とてつもない不幸に遭いました。
そのせいであのバカで、バカというのはテストで3点取って来たり分数の割り算を中学生時点で分からなかったり市会議員にタメ口で話しかけて仲良くなっちゃう程度のバカなんですが、そのバカな弟が憔悴しきり、奥さんは腕に何本もリストカットの跡が出来るほどの不幸に遭いました。
しかしながら救う神というのはいるもので、ちゃんと裁判にしてくれて、ちゃんと賠償金を得る事が出来たのです。
その事がニュースになった時のヤフーニュースを忘れません。
まるで、暗に「弟も悪いよ」みたいな事を仄めかすような文章を書いていました。
実際は何一つ悪くないのに、です。
ひいき目とかじゃなく、それは裁判でも相手側も100%認めた事実であるのに、何も知らない記者が憶測で、しかも逃げ道作りの為に断定せず、仄めかす書き方をしていたんですね。
それに乗った読者は、ヤフコメで叩く、叩く。
3000コメくらいついたでしょうかね。
もちろん2chやフェイスブックなんかでも叩かれまくりましたね。
そこからの詳細は書きませんが、まあまあ悲劇的な事もありました。
そんな弟も衰えてきて、努力しつづけている私が100M走で勝てるようになったので、やっぱり努力は重要だな!!
という記事でした。おしまい。